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舞俳句会

2019年6月 3日 (月)

大倉山吟行句会⑨

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大倉山吟行句会⑨
 大倉精神文化研究所の資料によると、91年前の昭和3年(1928年)6月に、東京横浜電鉄の五島慶太から一山1万坪の土地を買った大倉用紙店の大倉邦彦は、わが国の教育界・思想界の乱れを憂え、大倉精神文化研究所の諸施設を造り、ひとつの完結した世界を造ろうとしました。
 写真は人気の武蔵小杉方面です。高層ビル群が彼方に望めます。このような景色を偉大な二人は想像し得たでしょうか。この高台に建つクラシックな大倉山記念館の一室で句会はおこなわれました。入室は12:50からなので、教会のような直立した背もたれの長椅子がある休憩室で待ちました。そして、乳白色の明かり取りドームの天井の中央階段を昇り句会場に入り、まずは机を句会用に並べ替え、参加料千円を支払いました。3句投句3句選、内1句特選の各自披講です。先生は並選15に特選1で、各句に講評がありました。全員の選句の感想もありました。私の成績は、互選2+先生並選、互選0、先生並選でした。おわり

大倉山吟行句会⑧

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大倉山吟行句会⑧
 梅園の東屋の山N主宰と別れて先に句会場へと向かいました。ここでうろうろしている人はたいがい句会参加の俳人でしょうね。一般の人はほとんど来ません。緩い坂を登り、梅園出口から少し歩いたところの山上に大倉山記念館があります。実業家で東洋大学学長を務めた大倉邦彦(1882-1971)が昭和7年(1932)「大倉精神文化研究所」の本館として創建されたものを、昭和56年(1981)に横浜市が寄贈を受けた施設です。古代ギリシャ以前の”プレヘレニック様式”という世界的にも希少な建築様式を用いたそうです。つづく

大倉山吟行句会⑦

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大倉山吟行句会⑦
 大倉山の登ってきたところとは反対の斜面の階段を下りて行くと梅園があります。時期的に青梅が生っており地面にも落ちていました。ここの梅の木は枝が伸び放題で見苦しい限りですが、これも自然なのかと鑑賞します。
 小さい池の所には東屋があり、ちょっと早めのお昼にしました。園児以外はあまり人は来ない所ですね。こういう時季外れに来るのは俳人ぐらいなのか、同じ結社のK山さんに会いました。また、お昼を終えベンチで句作中には山N主宰もお昼をしに来られましたね。話をするのは久し振りです。つづく

大倉山吟行句会⑥

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大倉山吟行句会⑥
 歓成院の山門を出て右に行くと、大倉山の方へ行くらしき裏道がありましたので行ってみました。先ほどの幼稚園の脇道です。住宅街をさらに行くと登りになり、途中から大倉山の急斜面の階段です。樹木に覆われた薄暗い中を登って行くと、写真のオリーブ坂と書いてある山頂部に出ます。すぐそばには東屋があり箱根卯木が咲いていました。ちょうど園児らが引率の先生と階段を下って行くところでした。さっきの幼稚園なのか、別の所のかわかりませんが、ここの吟行の時には必ず園児と会いますね。つづく

大倉山吟行句会⑤

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大倉山吟行句会⑤
 大倉山の崖の下に歓成院(かんじょういん)の本堂があります。本尊は十一面観世音菩薩とのことです。こぢんまりとした建物ですが、この左横には、子ども・子育て支援新制度幼稚園の大きな施設があり、人工芝の広い運動場も完備しています。これほど大きい幼稚園はあまり見たことありませんね。山門のそばにはクスノキが若葉を茂らせており、園児の母親でしょうか、立ち話をしていました。つづく

2019年6月 1日 (土)

大倉山吟行句会④

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大倉山吟行句会④
 歓成院の山門を入った右手、つまり、門の表の水が出ている裏側に当たるところに小さな池と、回らない古びた水車がありました。その向こうはこぢんまりとした鐘楼があります。この位置に池がありしかも水車まであるとは珍しいと思いましたが、いわれはこの寺の情報量が少なく解りません。
 推察ですが、大倉精神文化研究所の資料によると「戦争中、歓成院の裏山にいくつか防空壕が掘られ、疎開していた海軍気象部が使っていた。戦後、空っぽの防空壕から水が出始めた。」とありますので、その水を利用しているのではないかなと思った次第です。つづく

大倉山吟行句会③

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大倉山吟行句会③
 駅前の大倉山エルム通りをしばらく歩きますとお寺がありました。小さな山門の前には竹の筒から水が出てつくばいに落ちています。門の外にあるのは珍しいと思います。寺の背後は大倉山の急峻な斜面です。水道水を垂れ流すのは不自然ですのでこれは湧き水かと想像しました。
 この寺は高野山真言宗妙智山法華寺 歓成院(かんじょういん)といい、善通法印が永禄18年(1567年)に開基したとされてます。旧小机領三十三所観音霊場十二番、新四国東国八十八所二十三番の霊場となっています。つづく

大倉山吟行句会②

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大倉山吟行句会②
 まずは改札前のスーパーで弁当と豆大福と飲料を調達しました。駅の左横の坂道を上がって行くと大倉山に行けますが、この日は遠回りして、高架の東急東横線と立体交差しているお洒落な大倉山エルム通り沿いに歩きました。写真は駅の高架方向です。歩道のボラード(車止め)には、色々な花の鉢がそれぞれに取り付けてありましたね。こういうのは初めてです。ボラードに鉢が入るようになっているわけで、盗まれないのか気になりましたが、水遣りも大変ですね。
 大倉山エルム通りは、ギリシャ・アテネ市のエルム通りと1988年(昭和63年)8月1日に姉妹提携を結び、それ以来、大倉山駅から西北にのびる通りは大倉山エルム通りと名づけられ、白く輝く美しい街並みを演出しているとのことです。建物の正面を大倉山記念館の様式にならって軒高をそろえることや円柱や正三角形のモチーフを使うことが建築デザイン協定で義務づけられているようです。つづく

大倉山吟行句会①

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大倉山吟行句会①
 長い連休明けの5月8日の水曜日に、結社の吟行句会に行ってみました。東急東横線の菊名の手前にある各停のみ停車の大倉山でおります。副都心線で乗り換え無しで行けますので便利です。乗車も降車も各停のみ停車駅でしたので鈍行でのんびりと座って行けました。
 大倉山といっても都会の小山程度の公園ですので、登山靴もピッケルも入りません。駅前の通りは大倉山エルム通りというなんかお洒落な名前が付いてますね。普通は何とか銀座とか付けそうですが、やはりお洒落な東急沿線ですので、それなりにセンスよく街の雰囲気を出したいのでしょうね。 つづく

2018年9月 8日 (土)

二子玉川吟行句会③

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情緒無き出来たての日本庭園の看板

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こちらも出来たて角川歳時記改訂新版 第五版秋
 さて、お昼も済ませたし、句も一応出来ましたので、あとはこの展望広場から下ったところにある日本庭園でも見て、もう2・3句と思いましたが、だめでした。なにしろここは作ったばかりで情緒がまるでありません。滝から川、そして池と一通りあるのですが、時の経過がない。苔もなければ雑草もなくすべて新品。さっさと通り抜けて近くの句会場へと急ぎました。この句会場は等々力駅近くの世田谷区玉川総合支所庁舎建替での仮移転の二子玉川庁舎で、綺麗な真新しい室内は気持ちよく、こっちは作りたてがいいですね。
 句会は総勢18人。3句出3句選、内1句特選。1000円の参加費を払い短冊をもらい1:15までに投句します。清記係が清記をしてコピーが2枚配られ、20分ほどで選句します。各自披講し最後に先生が披講します。先生の選句数は自由で、特選は1句でした。私の成績は弁当を落とした子の句と鉄橋の音を詠んだ句は選なしの0点で、来るときの半蔵門線の女性車両に乗ってしまった句が並選2点と先生のおまけの並選1点で3点でした。このあと各句について選句の感想、作者の作句意図、そして先生の講評があり終了しました。
 ちなみにY先生は、この度、改訂新版の某社文庫判俳句歳時記の時候天文地理の編集をされました。秋までは発売済みで冬と新年はまだですね。合本も旧版ですから要注意です。
 

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